「諦める」ことで同居が楽になった話。

独り言
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義母との同居が始まってから4年ほど経ちました。
振り返るといろいろあったなーと思いますが、その中でも特に「諦める」ことを意識したら楽になったというお話を書いてみます。

相手が「これでいい」と言ったらそれ以上言わない。

義母は認知症を患っています。
1人で暮らすことが難しくなってきたため、同居することになりました。
と言っても自分のことはある程度自分でできるので、私は「プチ介護している嫁」といった感じでしょうか。がっつり介護しているわけではありません。

そんな義母との同居。
言い方が悪いかも知れませんが…やはりたまーにおかしな行動があります。同居当初はそれがとても気になりました。
いや、気になるという表現以上かもしれない…「なんで?」「なんで?」ってずーっと思ってました
特に最初はそもそも義母のことをほとんど知らなかったですしね。お盆と正月くらいしか会わなかったし。

で、最初の頃はたまにあるちょっと「?」な行動が気になって、つい「こうしたら?」と口出ししていました。
でも、言うと逆に意地になる。そりゃ嫁に言われたらイラッとしますよね。
って思っても、意地になられると私もちょっとイラッとする(忍耐弱い嫁)。
…そんなやりとりを繰り返していました。多分2年くらい。

長いことそんなやりとりをしていると疲れます。ほんとに。

だから諦めました。
相手が「これでいい」と言ったら、「そうなんや」と受け入れる。それ以上言わない。…そう割り切りました。(ただし、どうしても危ないことだったりしたらそれはもちろん言う。)

そしたらね。
めっちゃ楽。ほんと楽。
今まで何をそんなにイライラしていたのか?と不思議に思うくらいイライラしなくなり、楽になりました。
一声はかけるけど、それに対する判断は相手に任せる。
まだ自分でできることも多いので、本人のやりたいようにやってもらう。
相手も大人なんだし、私がとやかく言うのが気に入らないのも当然だよなーって思えるようになりました。

同居のきっかけが介護だったので、私が勝手に義母は何もできないと思い込んでいたのかもしれません
確かにできないことはあるのでお手伝いは必要。でも、それは全て必要なわけではないんです。何もできないわけではないんです。
それなのに…今振り返っても、何て上から目線の考え方なんだろうって思ってしまい、恥ずかしいです。恥ずかしいと思えるようになっただけ、私も成長できたってことですかね(笑)。
今では、以前よりもずっと義母と楽に付き合えるようになりました。

ただ、私は認知症に対する知識が全くと言っていいほどないので、今後のことなど不安もあります。
今はうまくやっていけてるけど、状況が変わればこのスタイルではやっていけないかもしれない。そんな不安。
そうなったら…そのとき考えることにしています。
だってその時にならないと、どんな状況になるかわからないですから。
その時に考えて、また違った接し方をしていけばいいと思っています。

子育てとなるとうまくできない

この方法というか考え方、子育てにも当てはまると思います。
ある程度の年齢になってきたら、相手に任せることも必要。
相手が「これでいい」と言ったら、それを受け入れて見守る。
そうすればもっと、反抗期に突入している娘との関係もうまくいく気がします。

…でもねー、娘にはなかなかそうなれない(汗)。
娘の人格も尊重しないと…と思う反面、口だけ立派な面も多々あるため、つい口を出してしまいます。
早く子育てでも諦めることができるようになりたいです…。
義母に2年くらいかかったから、娘も今から2年くらいかかるのかな…

まとめ

実はこの記事、1年前に下書きしたままになっていたものなんです。
読み返してみても今思っていることと変わりはないので、一部編集して思い切って公開してみました。

あれから1年で義母の認知症も徐々に進んでいる気がしますが、義母なりに考えてやっていることもあると思うので見守りを続けていこうと思っています。

娘に関してはさらに反抗期が進み、「もうどうないなっとんねんっ!!」って気持ちになることが多くなっていますが、それでもたまに冷静に「諦めて相手に任せる」という判断をしようと見守りモードに入ることもできています。ほんとにたまにだけど。
このまま見守りモードに入れる回数を増やせるように精進します。。。

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